Tall Wiener Dog

アメリカで移民として暮らす

ごめんよ、スバル その1

結婚してから最初の5年間、僕らは中古のスバルを運転していた。ハカセが結婚前に地元のエンジニアから買った96年製のレガシィは、走行距離が10万マイル以下、価格が5,000ドルという超お買得品だった。しかもこの車はシートにヒーターの付いた特別仕様で、実家が山のハカセには嬉しいボーナスだった。買った当初は元気に走っていたものの、5年経って僕が一緒に住み始めてからは流石にあちこち壊れるようになった。車を買い換えるお金の無かった僕たちは、度々スバルを修理に出しながら、更にもう5年なんとか持ち堪えてきた。

そのスバルが壮絶な最期を迎えたのは、3年前の冬のことだった。クリスマス休暇を取った僕は、この日ハカセと愛犬抜刀斎をスバルに乗せて実家の山へ向かっていた。自宅から実家まではおよそ760km、だいたい東京から山口くらいまでの距離を8時間かけてドライブする。毎年やっていることなので特に心配することはなかったのだが、ただ最近スバルから走行中におかしな音がするようになったのが気に掛かっていた。今思えば出発前にメカニックに見てもらえばよかったのだが、2ヶ月前に修理したばかりだし、きっと大丈夫だろうとたかを括っていた。

州境を越え、ハイウェイを走りながら「あと3時間かな」と思ったその時だった。いきなりシフトレバーの下からドーンという音という共に衝き上げるような衝撃を受け、その後同じところからバリバリと凄まじい音がし始めた。アクセルを踏んでいるにも関わらず、スバルはみるみる速度を落としていき、素人の僕にでも何か車に重大なトラブルが起きたのが分かった。この命に関わるかも知れない危機を目の前にした僕は、何故か「不時着する宇宙船のパイロットってこんな感じかな」などというマヌケなことを考えていた。狂ったように前後に暴れているシフトレバーの方が、僕の心よりもこの状況にマトモなリアクションを取っているようだった。ハカセは抜刀斎を抱えて「大丈夫よ」と声をかけて落ち着かせていた。

幸いハンドルはまだ効いたので、アクセルから足を離した僕は徐々に車を路肩に寄せていった。車道から完全に外れ十分速度が落ちたところでブレーキを踏みエンジンを切ると、車から出て音のしたところをハカセと一緒にしゃがんで見てみた。そこで僕らが目にしたのは、トランスミッションから外れたドライブシャフトと、その穴から溢れ出すミッションオイルだった。どう見ても簡単に直せるものじゃなかった。予想外の光景に二人顔を見合わせていると、間もなく後ろを走っていた車も僕らの数10m前で停車した。マズイ。スバルから抜け落ちた部品でも当たったのだろうか。畜生、砂漠の真ん中で車が大破した挙げ句、後続の車から賠償請求かよ。体から嫌な汗が出るのを感じながら、さっき停まった車から出てこちらへ歩いてくる人影を、僕とハカセは茫然と見つめるのだった。

(その2へ続く)

あたしブロンドだから その2

ジェーンのブロンド発言から一週間後、法務の人から連絡があった。決まりで詳しい日程は言えないけど、近々避難訓練をするのでよろしくということだった。僕は受付の人と一緒に従業員を誘導する役だったので、それはまあ分かるのだが、頼み方がいつもより念を押していて、とにかくジェーンを助けてあげて、ということだった。「そんなに難しかったっけ」と訝りながら受付に行くと、ジェーンが矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。まるで爆弾処理でも頼まれたような慌てぶりで、とにかく「どうしたらいいの!?」を連発していた。とりあえず僕はこのどうしようもないオバちゃんを落ち着かせて、従業員のリストを更新することと、警報が鳴ったときの持ち物と手順を伝えて自分の部屋に戻った。豊富な職務経験は一体どこに行ったのか?

そして数日後、警報が鳴り避難訓練は始まった。僕はすれ違う人に声をかけつつ、ジェーンの様子を見に受付へ急いだ。そこには拡声器とリストを抱えたジェーンが震えながら立ち尽くしていた。うんざりした僕は、他の人と一緒に建物の外に行くよう指示して、僕は再度フロアを巡って誰も残っていないのを確認してから指定の避難場所へ合流した。

ジェーンはそこで従業員にリストにサインするよう呼びかけることになっていたのだが、相変わらず黙って突っ立っていたので、僕は彼女からリストを奪い取ってスタッフにサインしてもらうよう声をかけていった。全員がサインしたのを確認した後、僕たちは談笑しながらオフィスに戻っていった。まあ何はともあれ、これで終わったのだ。

しかしその翌日法務の人から、規定の時間内に避難が完了しなかったので、もう一度訓練をしなければならなくなったと連絡が入った。あれをまたやるのか。気が重かったが、今度はジェーンも少しは勝手が分かったろうし、まさか3回目は無いだろう。

それは結局杞憂に終わった。ある朝出勤してみると、受付にはジェーンの代わりに財務の先輩が座っていた。「彼女風邪でも引いたんですか」と聞いた。「いや、さっきうちのボスに電話してきてね、今日限り辞めるって」これはすごい。two weeks noticeも無しに、直接会うこともなく。ケーブルテレビの解約じゃあるまいし。

辞め方はとにかく、まあこれで良かったんだろう。後日ちゃんとした受付も採用されたし。何かとポリコレ的に危うい発言の多い人だったので、そのうちビデオにでも撮られて朝のニュースに出てくるかも知れない。

あたしブロンドだから その1

今日は僕の職場の受付係を、1ヶ月も経たずに辞めてったおばちゃんの話。とりあえず名前はジェーンということにする。

前任者が異動になって以来、受付は財務のスタッフがしばらく交代で兼任していたが、それがかなり負担になり始めていた。そんな中やって来てくれたのがジェーンだった。

彼女は面接で、受付の経験が豊富で人と話すのが得意と話していたそうで、僕たちは適任者が見つかったと安心していた。しかしいざ実際に働き始めると、それは嘘なんじゃないかと従業員一人一人が気付き始めた。僕もそれをその身をもって知ることになる。

最初におかしいと思ったのは、受付で同僚と話をしている時だった。先日彼女に教えてもらった寿司屋が美味かったという他愛もないもので、彼女が何となく「ジェーンさん、〇〇ってお店行ったことある?」と聞いたら、「I don't do sushi.」とピシャリと会話を強制終了した。それは「あたし生魚が苦手で…」などというやんわりしたものではなく、「自分と異質なものには一切理解を示すつもりはない」と宣言しているように聞こえた。「人と話すのが得意ねぇ…」と思いながらその時は無駄話を適当に切り上げて自室に戻っていった。

それからしばらくしたある日、ジェーンに電話で受付に呼び出された。この頃パソコンのトラブルで何故か彼女に度々助けを求められるようになっていた。この日も行ってみると案の定モニタの前でパニクっていて、何事かと画面を見てみれば、何のことはない、Outlookの基本的なとこをいじっただけで1分もかからずに直ってしまった。流石にジェーンもミスの間抜けさに気付いたようだった。しかしそれを取り繕うため、彼女はありえない一言を放った。

「いやほら、あたし、ブロンドだから」

一瞬耳を疑った。このステレオタイプを打破するために、全米のブロンド女性がどれだけ努力していることか。それを自分に対して使うとは。僕がその場を去ろうとした時に言われたことだし、あまりにも予想外だったので、僕は返す言葉もなく首を横に振りながらその場を後にした。

(その2に続く)